こんばんは。天パパパです。
前回、発達検査の結果を聞いてからの続きです。
これまでの記事はこちら
暗中模索
次年度の療育施設への申し込みは不可能で、市の発達相談センターも全くあてにならないため、この頃のんびり息子の進む道は方向性を失っていました。
発達検査の結果にもへこんでいて、更にちょうどこの頃天パパパが事情により仕事を辞めたため、我が家の一番落ち込んでいた時期かもしれません。
しかし、落ち込んでいてものんびり息子は本人なりに毎日成長しています。仕事を辞めたことで時間はできたため、とりあえず唯一の手がかりとなる、発達相談センターで渡された子育て支援の冊子をもう一度よく見てみることにしました。
すると、 あるページに「発達が気になるお子さん向けのあそびの場」というリストがありました。
「発達支援センターの職員、このリストの事も教えてよ!!」
と心の中でつっこみました。どうして教えてくれなかったんでしょう…。
ということで、リストの上から手当たり次第電話してみることに。
1件目「今担当者がいないので、あとでかけてほしい」
2件目「もう定員になっている」
3件目「・・・(誰も出ない)」
4件目「このあたりには発達の気になるお子さんはいないので、その教室自体もう開催されていない」
最初落ち込んでいた気持ちがこのころには海の底に沈んでいました。
電話をしてみてわかったのは、天パパパが住んでいる自治体では「子育て支援センター」は幼稚園や保育所に併設されており職員も兼任しているため、忙しくて電話をしても担当者と話せないことが多いということでした。
また、4件目の「そもそも、もうない」ところに関しては、冊子の発行が年度ごとの更新で、常に最新の情報が載っているわけではないということがわかります。
その後も数件電話をかけて、10件目くらいに
「こちらでは発達が気になる子向けに定期的に音楽療法をやっていますよ。ぜひいらしてください」
という施設が見つかりました。断られまくっていた天パパパは、受け入れてもらえるなら行ってみようという藁にもすがる気持ちで音楽療法に申し込みました。
この時はまさか音楽療法で衝撃的な体験をするとは思ってもいませんでした。
疑問だらけの音楽療法講師
※ここからの内容はあくまで天パパパが参加した音楽療法への感想です。世の中には素晴らしい音楽療法も多数あると思います。
さて、訪れた音楽療法の教室。通された部屋は雑然と遊具が並べられた幼稚園の倉庫のような場所でした。
こんなところで何が行われるんだろう・・・。一抹の不安がよぎります。
そしてさらに奥に通されると、薄暗くて壁に何やら怪しげな絵が描いてあるこぢんまりとしたホールでした。
大学、社会人といろいろな勉強会に出たことはありますが、既に怪しいセミナーのような雰囲気が漂っていました。
そしてそこに現れた「音楽療法講師」
最初のあいさつからすごく偉そうです。
・・・少し嫌な予感がしました。
そして出だしから、並んでいる子どもの方にボールを投げて、
「今のボールの動き見た? 斜視に効くんだ!」
と、声を荒げてまくしたてました。
弱っていてどんな話でもありがたいと思うはずの天パパパも、これはまずいパターンだなと思いはじめ、既に早く帰りたいと考えていました。
その後も、歌の時にキーボードを弾いていた保育士さんに向かって「キーが違う!!」と切れたり(発達障がいがある子供にも負担にならないキーのみ使った音楽だったようです)、ある親子が着ている服の柄をいじり始めたりやりたい放題で、毒蝮三太夫のような良くわからない芸風でした。
一つ分かったことは、療育施設の園長と同じように、ビジネスライクで子どもへの愛情は全く感じませんでした・・・。
やっと時間が来て音楽療法が終わると、なんとその後で音楽療法講師のありがたい講演があるとのことでした。
天パパパはその時用事があったので先に帰り、妻が講演を聞くことになりました。
ありがたい講演の内容
以下は妻から聞いた内容に天パパパが心の声でつっこみます。
- 子どもが頼れるのはお母さんしかいない。だから全力で頑張らないとダメ。おしゃれするなんてもってのほか
……今は母親も息抜きが必要という論調が普通では?
- わたしが子育てをしたときには髪を振り乱して、雪の日には自転車に子どもを二人乗せてパトカーに止められた
……普通に子どもが危険ですよね?
……柔道場に重い電子ピアノ持ち込んだら畳がダメになるでしょ。
他には、音楽療法講師がいま書いている論文がどれほど素晴らしいものかについて力説していたらしいです。
自閉症スペクトラム障がいのお子さんのことをずっと「自閉症の子」と呼んでいたことも気になるし、いろいろとツッコミ所満載な講演だったようです。
音楽療法の講師の方には大変申し訳ないですが、2度と参加する気分にはなりませんでした。
またもや道筋を失った天パパパとのんびり息子。
やはり残された手がかりは「発達支援センターでもらった冊子」のみ。
再度目を皿のようにして見ると、隣の市の療育施設が載っていることに気が付きました。
ダメもとで電話した隣の市の療育施設の職員の一言から、一筋の光明が差すことになります。