少し前の話になりますが、夏休みに入った頃から幼稚園の園長や担任の先生より、
「療育手帳とりませんか?」
「病院で診断書をとってもいいかと」
と、遠回しなお願いがありました。
幼稚園に対しては、定期的に通院していますが診断がつかない状態ですと伝えていたので少し戸惑いました。
のんびり息子の場合は「自閉症スペクトラム」の特徴にあまりあてはまらず、
「理由がわからないが成長は全体的に遅い」
「こだわりは強いようだ」
という医師の判断でした。
「診断はつかないんですよ」と、改めて園長に話してみたところ
「精神遅滞とか、何かつけてもらえないかな」
普段はっきりとした物言いの園長が、遠回しな言い方しかしてきません。
真意が良くわからなかったので、そのまま特に何もせずそのことは忘れていました。
秋になって幼稚園に電話をする用事があったときに、担任の先生からも
「診断書は取ってもらえませんか……」
と、言いづらそうな感じでお願いされました。
どうしてそんなに診断書が欲しいんだろう。
理由が知りたかったので、踏み込んだ話をしてみると、
・来年度の幼稚園の助成金関連で、数人分の診断書か療育手帳が欲しい
・市への提出は発達検査の結果でも大丈夫だが、県への提出は診断書が必要
・提出が迫っているので、出来ればすぐにでも欲しい
というようなお話でした。
話を聞いているうちに今までの微妙な言い回しの理由もわかってきました。
・助成金は必要なので誰かに頼まなければいけない
・診断についてはかなりデリケートな問題なので、強く言いづらい。
・年長さんが卒業するので、人数の問題で年中のこちらに回ってきた
そんなところでしょうか。
ふと、ブログなどで他の方が書いていた
「幼稚園から病院の診断を勧められた」
「あの病院は診断を付けてくれると勧められた」
というようなエピソードが頭をよぎりました。全てが同じとは言えないですが、同じような背景があったのかもしれません。
助成金は仕事をしていた際にも馴染みがあります。
助成金の必要書類は絶対なので、何としても書類を揃えなければいけないのもわかります。
助成金が入ることで来年度も園の運営にプラスになるのであれば、のんびり息子にとってもプラスになります。
他の子より明らかに数倍手がかかるのんびり息子に対して、いつも対応を考えながら笑顔で接してくださる園の先生方。
お礼の意味も込めて、というのもなんですがプラスにとらえて診断書を書いてもらうことにしました。
診断書を貰うということは、グレーが黒になることなのかもしれません。
でも僕と妻は、のんびり息子が検診に引っかかったとき、発達検査の結果を目の当たりにしたとき、療育の道が閉ざされそうになったとき、何度も目の前が真っ暗になるような気持ちを体験して
「親が落ち込んでいたりしないで、のんびり息子の為になることならどんなことでもしてあげたい」
という気持ちになっていました。
そして先日、病院で診断書をお願いしました。そのときに医師の先生がおっしゃった
「必要だったら書くよ。」
「診断書とかが無くても必要としている人が必要としている支援を受けられるのが、一番正しい世界だと思うんだけどね」
という言葉が印象に残りました。
医師が見ただけで明らかにわかる場合を除いては、幼児期の発達障がいの診断に関しては親への聞き取りがかなりの要素を占めると思います。
子どもはまだ自分の気持ちをちゃんと話せません。
そのため、診断に関わってくる「子どもの特徴はどうなのか」「どんなことに困っているのか」といった質問に対して、親が答えるかたちになります。
そして、発達検査の結果と親への聞き取りを加味して、発達障がいの特徴と合致していれば診断名が付くという流れです。
「診断名が付く」ということは、親にとって心理的にキツいことです。
頭の中で「周りの子とは違うかも」ということが薄々わかっていたとしても、事実として突きつけられるまでは「気のせいかもしれないな」という思いもあります。
そういうこともあり、明確に判断できない場合には診断名はつきません。
更にいえば、発達検査を受けず、病院にも受診しなければ、どんな特性を持つ子供でも「普通」です。
診断名が付かない「グレーゾーンの子ども」でも、発達障害の特性に合致しているが受診をしていない「普通の子ども」でも本人が困っていることは一緒です。
本来であれば、助成金という追加のお金が無くても、現場で困っている子どもへの支援が十分にできる状態が理想ですよね。
のんびり息子は、今日も素敵な笑顔をふりまいています。
「発達障がい」なのか「グレーゾーン」なのか「普通」なのかが重要なのではなく、どんな事に困っているのか、親として何をしてあげられるのかを考えてあげたいと思います。
これからも息子がずっとニコニコして成長していけるように、一緒に歩んで行こうと思います。
関連記事はこちらです